今週のお題「元気を出す方法」
小学校に上がったばかりの夏休み、僕はプールサイドの縁にしがみつき、決意をした目でプールを睨んでいた。
そこは足の届かない深さのプール。小学一年生には、ちょっと危ない場所だ。それでも僕はそこに行かなければならなかった。なぜならば、僕はこの夏休みの間になんとしても泳げるようになると決心したのだから。
僕の作戦は、「①足の届かないところに自分を放り込む。②この場合、泳がなければ死んでしまうのだから必死になって泳ぎを覚えようとする。③1と2を繰り返すうちにほぼ自動的に泳げるようになる」というツッコミどころ満載のものだった。
なんでそんな危ないことを思いついたのか、漫画で読んだかあるいは、友達にでも言われて本気にしたのかもしれない。しかし、実年齢よりも幼く、頭もあまり良くない子だったため、強く思い込んでしまった。
いざ、作戦開始。僕は手を放して、足のつかないプールでバタバタと必死に手を動かし始めた。しかし、手を動かせば動かすほど、僕の身体は沈んでいく。一向に浮く気配はない。いよいよ苦しくなってきた。
大丈夫、もうすぐ身体が勝手に泳ぎ始めるはず。
だ、大丈夫・・・。
僕は意識を失いかけた。
どうにもならなくなりそうになって、僕は誰だか知らない人に助けられた。
その人に礼を言って縁につかまって息を整える。なんて苦しさだ。
もう少し身体を伸ばせば良かったか。
よし、もう一度挑戦しよう。
僕は何度も同じことを繰り返した。
水の中に飛び出して、溺れかけ、誰かに助けられる。時には自力でプールの縁にしがみつく。
数回繰り返したところで、プールに連れて来てくれた近所のおばさんに怒られた。
もう、いい加減にやめなさいと。
大人からしたら、たまったものじゃなかっただろう。
いつも優しいおばさんに怒られ、僕は挫けそうになった。
だが、僕はそれでも挑戦をやめなかった。
だって何が何でも泳げるようになると決めたのだし、僕には作戦があるのだから。
今の時代なら、とっくに止められていただろう。色々と許された時代だったし、場所も温泉旅館に併設された小さな温水プールで、特に監視している人もいない様なところだった。
さらなる何度かの失敗のあと、さすがにくたびれて僕は部屋で寝ていた。
気付くと、どこかで父の声がしていた。さっきおばさんに怒られた僕は、父にも怒られるのかもしれないと、身を固くした。
だが、意外にも父の声は上機嫌だった。
誰かと話している。
「こいつは、なかなかやる。根性が入っているわ。何度も繰り返してやがった。いつかどこまででも泳げるようになるんじゃないか」
どこかで父は僕の姿を見ていたのだろうか。
僕は父に褒められた嬉しさと怒られないことに安心したことで再び眠りについた。
親の欲目であったろう。僕は単に幼くて思い込みの強い子供だっただけだ。
だけど、この時の父の言葉が僕の心に強く残った。
父が早くに亡くなってしまったから余計に、夢うつつで聞いた父の言葉が忘れられないものになったのかもしれない。
夏休み中に学校でプールの授業があって、僕はそこであっさり泳げるようになった。
泳ぎは比較的得意だったかもしれないが、どこまでも泳げるようにまではならず、父の言葉通りにはならなかった。
その先の僕の人生も失敗ばかりで、この社会の波も上手くは泳げなかった。
それでも、僕は父の言葉に支えられている。
元気になりたいときには、父の言葉を思い出すようにしている。
おかしなことに、父の言葉通りにはならず、この先どう生きていけばよいのかもわからないような人生を生きている今こそ、父の言葉が僕を勇気づけてくれるのだ。
そうだ、もう一度、泳ぎに出よう。
目の前に見えるのはプールではなく、どこまでも広がる大海だ。
人は皆、とっくに先に進んでいて、僕は一人ぼっち。
波は決して穏やかではないだろう。
それなのに、僕は何も持っていない。
だけれども。
そうだとしても。
僕には父の言葉がある。