失われた夢の代わりに

旅とキャンプと思い出と

誰もいない静かな部屋で

今週のお題「最近おいしかったもの」

 

パンの袋を破いてそっと中身を取り出す。

小さくちぎって、一口目を放り込む。

扁桃腺が痛く感じるほどに、ただの何もつけていないパンの味が、僕の身体に染みた。

スプーンを手に取り、スープに浸かった煮物の皿を手に取る。

薄味に作られたスープが喉を通るころには、僕の中で固まっていたものが一緒になって溶け出した。

スープは冷め気味だったかもしれない。

それでも温かい。この味を僕は忘れないだろう。

そんな食事だった。

あまり良く眠れない夜が明けた。

「緊張してます?」

意識的に明るくした声で尋ねられた。声の主は笑顔でこちらを見ている。

この日は朝から全身麻酔での手術を受ける。

人生初の事に僕は緊張を隠せなかった。

「めっちゃビビッてます」

精一杯の笑顔を絞り出して僕は看護師さんに朝の挨拶をした。

手術室に向かいながらも、深呼吸を繰り返す。

「大丈夫ですよ、気づいたら終わってますから」

僕の小心者ぶりはとっくにバレていて、励まされながら手術が始まった。

 

 

看護師さんの言った通り、気づいたら手術は終わっていた。

無事手術は成功、術後も良好だった。

絶対安静の時間がとても長く感じたけれど、数時間後には立ち上がることも難なくできた。

「お腹すいたでしょう。食事の許可が先生から出ましたよ、軽食になってしまうかもだけれど、今からお願いしてきますから頑張って食べてくださいね」

朝と変わらない明るさで看護師さんが伝えに来た。

僕はお礼を言ってから、自分が24時間以上何も食べてない事に気付いた。

手術の前日ということで、昨日の昼以降食事は許されていなかった。

空腹といえば空腹だけれど僕はあまり食べる気がおきなかった

ひとり部屋でため息をつく。

僕の病気は悪性リンパ腫と診断された。

多くの検査を受けて、この手術を受けたけれど、まだ治療は始まってもいなかった。

この先、半年近くかけて抗がん剤治療を行うと医師からは伝えられている。

 

少し時間が過ぎて、看護師さんが笑顔で入ってきた

「すいません、遅くなって。時間が遅かったので、あまりちゃんとしたものはないんですけど」

ビニール袋に入ったパンが数個と小さい皿に煮物が入っていた。かき集めてきたのが伝わってくる。

「頑張って食べてください。まだ先は長いですからね」

僕が気弱になっていることもバレているのかもしれない。

「ありがとうございます。こんな時間だし、大変だったんじゃあないですか?」

「色々なところにいってお願いして回ってきました」

僕は今日初めて自然に笑顔になれた。

日も暮れて、病棟はすっかり静かになっていた。

「ありがとうございます。でも本当にすいません」

感謝を伝える僕に対して、

「いえいえ、仕事ですから」

彼女は何でもないことの様に言って、明るく笑った。